大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(う)1180号 判決 1975年1月30日

控訴人 被告人

被告人 舩井祐一郎 外一名

弁護人 斉藤展夫 外二名

検察官 塚本明光

主文

原判決を破棄する。

被告人両名は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人舩井祐一郎、同秋山正春並びに被告人両名の弁護人斉藤展夫、同鈴木亜英及び同山口達視(共同)作成の各控訴趣意書記載のとおりであり、これらに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事塚本明光作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

弁護人らの所論は、要するに、原判決は、被告人両名は、原判示の都営中里団地自治会の常任委員であつたが、原判示の日時に原判示の場所で開かれた同自治会の常任委員会の傍聴人であつた島本吉雄を退場させるために、被告人舩井においてその右腕を、同秋山においてその左腕をそれぞれ両手で掴み、机にしがみついて退場を拒む同人を無理矢理吊り上げて数十センチメートル後退させ、同人をして玄関脇にあつた下駄箱の東南角又は北東角に背中を接して安坐していた傍聴人の東護健英の右肩に突き当てさせ、その結果右島本に原判示のような傷害を負わせた事実を認定して、被告人両名の行為が傷害罪にあたるとしている。しかし、被告人両名には暴行の犯意がなく、また、被告人両名は、右島本を原判示のようにその腕をもつて立たせただけであつて、その他の暴行をしておらず、さらに、右島本は、原判示のような傷害を負つてはいない。たとえ、右島本が傷害を受けた事実が認められるとしても、被告人両名の行為と右島本の傷害との間に因果関係があるとは認められない。また、被告人両名が右島本の腕をもつて同人を立たせた行為は、暴行にあたるものではなく、若しあたるとしても、前記自治会の平穏な進行を妨害した右島本の行為に対して行つた正当防衛であるから、原判決にはこれらの点で判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのであり、被告人両名の所論も右と同旨であると解される。

そこで、記録及び原審において取り調べた証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せて検討する。

まず、原審及び当審における証拠によると、被告人両名が前記自治会の常任委員会の会場から右島本を退場させるために、原判示のように同人の腕をもつて立ち上らせて後ろ向きのまま後退させたのち、その腕から手をはなし、ついで同人が原判示のように玄関コンクリート土間に転落した事実が認められる。

そして、被告人秋山の司法警察員に対する供述調書その他の証拠を総合すると、被告人両名は、右島本が右の会場から退場することを拒んでいたのを同人の意に反して相当強い力を加えて右判示のように後退させたことが認められる。そして、右認定に反する被告人両名の原審及び当審における各供述その他の証拠は、積極証拠と対比して信用することができない。また、原判決の挙示する録音テープによると、右島本が「おれは帰る。」と発言したことが認められるけれども、右の言葉は、他の証拠と併せて考えると、被告人両名が右島本から手をはなした時に発せられたものであることが認められる。このことから考えると、被告人両名がそれまで相当強い力で右島本を退場させようとしたのに対して、同人が自発的に退場する旨の意思を表示して被告人両名の手をはなさせようとして右のような発言をしたとも解せられるから、右の発言があつたからといつて、所論のように、同人が席を立つ前から退場する意思があつて、自分で自発的に後退したことの証拠になるとは考えられない。従つて、右認定の点に関する原判示は、表現がやや強すぎる感がないではないけれども、事実を誤認したとまではいえない。

さらに、被告人両名が、原判示のように右島本を下駄箱あるいは前記東護に突き当てさせ、その勢いで右島本を転落させたものであるかどうかの点について考察すると、証人島本吉雄、同松村忠夫、同東護健英及び同瀬下竹卯は、いずれも原審公判廷において右判示に沿うかのような供述をしている。しかし、右島本の供述は、一方では右事実を全然記憶していないような供述をするなどその供述内容に自己矛盾の点が多い。つぎに、右松村の供述には、原判決もその「当裁判所の認定の経過」の項(以下原判決の判断という。)二の(2) において判示しているように、明らかに客観的事実に反する点や曖昧な点が多く、また、右瀬下の供述には、右同様原判決が判示するとおり、被告人両名の行為についての具体的供述が欠けており、これらの点からみて右両名が果して被告人両名と右島本の当時の行動を十分観察していたかについて疑問がある。さらに、右東護の供述には、右同様、原判決が原判決の判断二の(2) で判示しているように、具体的供述に欠けているばかりでなく、同人の坐つていた位置と体位からみて当時の事態を観察することが果して可能であつたかについて疑問がある。そのうえ、右三名の者は、原判決が原判決の判断三で判示しているとおり実際に行なわれたとは到底認められないところの、被告人舩井が右島本を表道路上に放り出したという事実までも肯定するような供述をしているのであり、また、右三名は、前記中里団地自治会の東京都公営住宅協議会への加盟継続の問題について反対の意見をもつていた点で右島本に同調する立場にあつたものである。以上の諸点を総合すると、右三名は想像にもとづきまたは作為的に被告人両名に不利益な供述をしたと考えられるふしがないではない。従つて、前記四名の各供述は、結局その信憑性に欠けるところがあるといわざるをえない。そして、原判決は、原判決の判断二の(1) において、右島本の転落の態様が自分で転んだものとしては不自然であるとし、また、同人の転落したのちの平尾達夫が発したと認められる「暴力はやめよ」という趣旨の言葉を、被告人両名の暴力的行為がその前にあつたために発せられたものであるとして、これらを原判示の前記事実認定の資料としているけれども、証拠を仔細に検討すると、原判決の右の推論には、所論も非難するように不合理な点があつて、これに同調するわけにはいかない。

その反面、証人平尾達夫、同斉藤譲一、同小海薫、同高橋茂(以上原審)と同香川孝雄(原審及び当審)は、右島本が被告人両名の行為によつてではなく、自分自身の行為によつて転落したものであると明らかに供述している。そして、当時右島本が相当酒に酔つていたこと、同人が転落前に自分の身体を大きく動かして被告人両名の手を振り払つたことが証拠上認められ、また、原判決が原判決の判断二において前記の録音テープの音声から右島本の転落の態様を推察しているところもおおむね正当と認められる。また、前記録音テープ等によつて、本件当時前記委員会に出席していた者のうち右島本と口論した林誠一を除くその余の者は、右島本に対して比較的冷静な態度をとつていたことが認められ、被告人両名が右島本を退場させる目的以上の暴力を用いたことが推認されるような状況ではなかつたことが窺われる。これらの事情を総合すると、前記の平尾ら五名の証人の各供述には相当高い信用性があることが認められる。

右の考察を総合すると、被告人両名が原判示のように右島本を立たせて後退させたことは認められるけれども、被告人両名において、右島本が前記の下駄箱あるいは前記東護に突きあたることを認識し、かつ認容しながら右島本を突いたり押したりしたために同人が右下駄箱などに突きあたつて転落したとは認めることができない。かえつて、前判示のように被告人両名が右島本を後退させたのちは、右島本において被告人両名の手を振り払うなどしたため自らの行為によつて転落するに至つたものといわざるをえない。それで、被告人両名の前記行為と右島本の転落との間に因果関係は認められないのである。従つて、原判決は、被告人両名が右島本を下駄箱あるいは右東護に突き当てさせ、その勢いで土間に転落するに至らせ、その結果同人に原判示の傷害を負わせた事実を認定している点で、事実を誤認したものといわねばならない。

そこで、右島本の傷害の有無の点について判断する必要がないから、これを省略し、被告人両名の右の行為が犯罪を構成するかどうかについて検討する。

被告人両名の前認定の行為は、その態様に徴すると、暴行罪にいう暴行の構成要件にあたるといわざるをえない。しかし、証拠によると、次の事実が認められる。すなわち、原判示のように、前記中里団地自治会においては、常任委員会を開催して年間行事計画などを討議していたところ、会員である島本が酒に酔つて途中から傍聴人として出席したうえ、右自治会長の小海薫が原判示の発言をしたのを機にこれに関連する質問を始めたのであるが、同人は、くどい質問をくり返したばかりでなく途中からは既に決定されて当日の議題にはなつていなかつた東京都公営住宅協議会への加盟継続問題をこれに反対する立場からむし返して議論を始めたのである。ところが同人は、酔つていたことと興奮したこととが相まつて意味の判らないような発言をするようになり、その果には大声で右自治会の性格や役員個人に対して攻撃するなど粗暴な態度を示すに至つた。そのため、同人は、前記会長の小海らから議事妨害であるとして退場を求められたにもかかわらず、さらに前記委員の林と口論を始め、机を叩くなど粗暴な言動をやめず、容易に退場しようとしなかつた。そこで、被告人両名は、右会長をはじめ委員全員の意をうけて同人を退場させるために前記の行為に出たものである。

ところで、前記の自治会は、東京都下清瀬市所在の都営中里団地居住者(約四五〇世帯)によつて構成されており、会員相互の親睦を図り、居住権の完全擁護と民主的権利を守り、福祉の増進と文化的生活の向上を推進することを目的として設立されたいわば公共的な団体であるから、その常任委員会の平穏で円滑な運営は、集会の自由等の観点からみて法的保護に値する利益であることはいうまでもない。ところが、本件当日正規に開催され、正常に運営されていた右委員会が前記のとおり右島本の行為によつて妨害され、議事の進行が困難な状態に陥つたことが証拠上認められるから、右島本の行為は、右の法益に対する急迫不正の侵害であつたことが明らかである。もちろん、前記団地居住者で自治会の会員である右島本が右委員会に出席して質問等の発言をすることは許されていたのであるけれども、そのために右島本の前記の行為が正当化されるものでないことはいうまでもない。

そして、当日の委員会においては、右島本が質問をした時点においてはなお予定された議事が残つていたために途中で中止するわけにはいかなかつたのであり、また、右島本を説得して退場させることは殆んど不可能な状態であつたことが認められる。また、当時の状況から右島本を退場させるために警察官の出動を求めるほど重大な事件とは考えられなかつたばかりでなく、また時間的にその余裕もなかつたことが認められる。右の事情から、被告人両名が会員一同に代つて右島本を退場させることが必要であり、そのためには実力を行使することもやむをえなかつたものといわなければならない。また、被告人両名は、前記の法益を防衛する意思で右の行為に出たものであり、その実力行使の程度も前記認定のとおりであるから、被告人両名の右の行為によつて右島本に加えた害の程度は、被告人両名が防衛しようとした前記の法益に比較して軽微であり、実力行使の態様も穏当なものであつたことが認められる。

以上の認定を総合すると、被告人両名の前記の行為は、刑法第三六条第一項の正当防衛にあたるものと認められるから、暴行罪の違法性を阻却するものである。それで、右の点を認めなかつた原判決は、事実を誤認したものである。そして、前記の被告人両名の暴行の態様及びこれを原判示の傷害との間の因果関係の点に関する事実誤認と右正当防衛の点に関する事実誤認とは、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである。それで、論旨は、理由がある。

右のとおりで、本件各控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条により原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書の規定に従つて、さらに判決することとする。

本件公訴事実中、被告人両名が前記島本を玄関コンクリート土間に放り出した事実及び被告人舩井が右島本の襟首付近をつかんで表道路上に放り出した事実が証拠上認められないことは、原判示のとおりであり、また、被告人両名が右島本を下駄箱などに突き当てさせて転落させたこと及び被告人両名の行為と右島本の傷害との間に因果関係があることは、前判示のとおりいずれも証拠上認めることができず、さらに、被告人両名の行為と認めうる前判示の暴行も前判示のとおり正当防衛と認められるから、結局罪とならないものである。それで、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条により被告人両名に対して無罪の言渡をする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浦辺衛 裁判官 環直彌 裁判官 内匠和彦)

弁護人斉藤展夫、同鈴木亜英、同山口達視の控訴趣意

目次

一、はじめに

二、原判決批判序論

三、原判決批判総論

(一) 原判決は住民自治を否定し、警察権力による住民支配を肯定する重大な誤りをおかしている。

(二) 原判決は科学的、客観的方法による事実認定をおこなわず、根拠のない推論に基く事実認定を行う誤りをおかしている。

(三) 原判決は非科学的証拠の評価を行う誤りをおかしている。

(四) 原判決は事実を事件の背景、本質と切り離したため誤つた認定をしている。

(五) 結論

四、各論

(一) 被告人両名は島本に対して不法な有形力の行使をしていない。

(二) 被告人両名の行為は正当防衛である。

(三) 島本に傷害はない。

一、はじめに

昭和四九年四月五日東京地方裁判所八王子支部桑原裁判官の言渡した判決(以下原判決という)には、後記のとおり事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。即ち原判決は被告人両名をそれぞれ罰金五、〇〇〇円に処する旨の有罪判決をなしたが、後記のとおり被告人両名は明らかに無罪であるから、刑訴法三八二条に基き控訴をしたものであり、以下具体的控訴理由を述べる。

二、原判決批判序論

われわれは、原審における弁論のはじめにとおわりに、本件を単に局限的事象を一面的に、そして固定観念をもつて見ると誤りをおかす、各事象を総合的、客観的、科学的に洞察することによつてのみ真実を発見することができると指摘してきた。

原判決は、右指摘にもかかわらず、事実を一面的にしか見ることができず、根拠のない憶測、推論に基いて、誤つた事実を認定し被告人両名を有罪とした。原判決は、事件の背景、本質、取調べと起訴の偏ぱ性、不当性を正しく認識することができず科学的、採証法則に基いた客観的、総合的事実の認定ができず、結局無実の被告人らを有罪にする誤りをおかした。われわれは、当控訴審に対し、本件の背景、本質から目をそらさず、警察、検察権力による不当な取調べ起訴を糾弾し、科学的採証法則にもとずき、事実を総合的、客観的に認定し、原判決を破棄して、被告人両名を無罪とする判決を下されんことを強く要望する。

原判決の根本的誤りの第一点は住民の自治権を否定し、警察権力による住民支配を肯定していることである。第二点は科学的、客観的方法による事実の認定を行わず、根拠のない推論に基く事実の認定を行つたことである。第三点は、証拠の評価を科学的におこなえず誤りをおかしたことである。一方では証拠としての信用性を否定した証拠で有罪を認定するという自己矛盾をおかし、医師ですら認定できない事実を認定するという重大な誤りをおかしていることである。そして第四点は、事件の背景、本質という生きた社会事象の中で事実をとらえることができず、社会事象を捨象した社会的価値のない、こまぎれの事実を推測によりつなぎ合わせた誤りをおかしているということである。以上四点につき、まず総論的に原判決の誤り及び問題点を指摘し、ひきつづき、各論的に原判決の誤りを詳細に指摘することにする。

なお、原審における「弁論要旨」は現時点においても、あますところなく原判決の誤りを指摘しうるものであり、弁護人らは本控訴趣意書に、右「弁論要旨」を全面的に援用するものであることを附言しておく。

三、原判決批判総論

(一) 「原判決は住民自治を否定し、警察権力による住民支配を肯定する重大な誤りをおかしている。」

原判決は被告人らの行為を島本の常軌を逸した行為に誘発された行為であるが、それにしても穏当をかく、検察官主張のとおり島本に対する説得なり、警察官の派遣を求めて排除するなりの妥当な方法があつたはずであり、可罰的違法性に欠けるところはないと判示している。

右判示は誤つている。自治とは自分で自分のことを処置すること(広辞苑)であり、自治会とは一定地域住民、本件の場合は中里団地居住者が住民の親睦をはかり、住みよい環境をつくるために、住民の総意に基きつくられた組織であり、自ら決めた会則をもち、右目的達成のため会議を行い、種々の事柄をとり決めその実行にあたり、又住民に対し責任を負うのである。従つて、会議の運用は民主的に行われなければならないものである。本件は右中里団地自治会の議決並びに執行機関である常任委員会での出来事である。本件常任委員会が民主的に運用されていたことは録音テープ二巻及び「常任委員会議事録」から明らかである。会議の民主的運営とは右民主的運営を阻害するものから自らを防衛することを含むことは自治の原則であり、その任をもつのは住民自体、本件の場合は会議の構成員即ち常任委員である。従つて、本件の如く会長から退場を求められたにかかわらず、なおくいさがり、林に喧嘩を売り、周囲の退場要求にも応じない常軌を逸した行為を行う島本に対し、退場の執行行為としての一定範囲の実力行使、即ち両わきからかかえ外へ連れ出すことは自治権の範囲内であり当然許さるべきものである。右の如き島本の常軌を逸した行為は既に説得の範囲をこえていることは録音テープ及び「議事録」(八〇頁から八二頁まで)により明白である。原判決が説得の余地があるかの如くいうのは明らかな誤りであり、判示前段で認定した常軌を逸した行為に説得の余地があるとするのは自己矛盾である。かような場合即ち、本件のように酔つぱらいが会議の運営を行えなくなるまで妨害した場合にわざわざ警察官の派遣を求めなければ排除できないとする原判決は住民の自治権、会議を民主的に運営していく権利を否定するものでありまつたく容認できない。原判決が指向するものは警察国家であり、民主主義をまつこうから否定するものであつて、現憲法の基本原理に反するものである。

本件の場合問題となるのは、会議の運営を妨害する島本に対し、既に説得の限界を超えているとき、どの程度の実力行使が許されるかである。その基準は違法阻却事由としての正当行為論、即ち社会的相当行為の範囲と考えられる。そしてそれは、具体的事案に即して実質的に検討さるべきものである。

本件において、前後の事情を考えあわせれば、常軌を逸した島本をかかえ、場合によつてはかかえ上げて、外に連れ出す程度の実力行使は一般社会常識からも許さるべきと考えられ、まさに社会的相当行為といえる。勿論かような場合、右の如き実力行使は可罰的違法性がなしとして、暴行、傷害等の構成要件に該当しないとも考えられる。従つて、まさに、原判決認定事実が仮に被告人らにあつたとしても暴行罪や傷害罪は成立しないことになる。結局被告人らは無罪以外にない。

(二) 「原判決は科学的、客観的方法による事実認定をおこなわず、根拠のない推論に基く事実認定を行う誤りをおかしている。」

原判決は存在しない事実を認定している。即ち、原判決は、被告人両名は、島本を即時退場させるべく、共謀のうえ、机に向い玄関に背を向けて正座していた島本の、被告人船井が右腕を、被告人秋山が左腕をそれぞれ両手で掴み、机にしがみついて退場を拒む同人を無理矢理吊り上げて、玄関脇にある下駄箱東南角あるいはその下駄箱の北東角に背中を接して安坐していた傍聴人の東護の右肩に突き当てさせ、(それぞれ右島本から手を離したものの)、その勢いでバランスを失した右島本をして前かがみになつた右東護の背中と前記下駄箱の東端とのV字型の空間を通して仰向けに頭から玄関コンクリート土間に転落するに至らしめ、よつて右島本に対し全治二週間を要する頭部外傷、脳震盪症の傷害を負わせたと判示している。

ここで、まず起訴状をふりかえつてみる。起訴状では、被告人両名は共謀のうえ、左右から同人の腕をつかみ持上げて同所の玄関コンクリート土間に放り出して仰向けに転倒させ、更に被告人船井が同人の襟首付近をつかんで、表道路上に放り出す等の暴行を加え、よつて同人に全治約二週間を要する頭部外傷、脳震盪症の傷害を負わせたものとなつている。しかるに、原判決は右起訴状の公訴事実中、「被告人両名が島本を玄関コンクリート土間に放り出した事実は認められない」とし、更に、「被告人船井が島本の襟首付近をつかんで表道路上に放り出した事実は認められない」としていながら、そして、その限度では正しい認定なのであるが、起訴状にいう左右から持上げを推測し、拡大して吊り上げとし、起訴状にない事実、下駄箱東南角あるいは東護の右肩に突きあてさせ、その勢いで島本をバランスを失して転落せしめ、判示傷害を負わせたと推測による認定をしている。

即ち原判決は、島本が自らよろけて、落ちたとする、被告人両名、証人高橋、同小海、同香川の目撃状況の供述を推測により排除している。自らよろけた程度の勢いで、東護の肩越しに、しかも幅三〇センチメートル余の板間をこえて、頭から転落するのは不自然であると判示しているが、それは事実を無視した推測である。島本の尻が東護の肩を起点にして回転すれば、幅三〇センチの板間での距離があつても土間まで落ちることは容易であり、何の不自然もない。

島本が飲酒をしており、口論の末興奮状態にあつたことは原判決も認めるところである。とすれば島本が自らよろけて転落したとすることは何の不自然さもない。原判決は更に、島本が土間に転落後、悲鳴をあげている際中に、「出した方がいいよ、表へ」「放り出しちやえ」という声に続いて、「まあ、暴力はやめなさい」という平尾の言葉からその前に何らかの暴力的行動が発現されたと考えざるを得ないと推測をしている。右不自然さと暴力行為があつたと考えざるを得ないという二重の推測により、被告人両名がつりあげ、つきあてさせ、転落させ、傷害を負わせたと推論を重ねているのである。その結果、原判決は重大な事実誤認をしたのである。前記、島本の状況及び録音テープ、「議事録」(八二頁)の島本が転落する直前に発している「俺りや、帰る」という音声、即ち、島本自らが被告人両名を振り切つて、自らの意思で、立ち、帰るといつていることから、原判決の二重の推測がいかに誤りであるかが明白である。平尾証人が公判廷で録音テープを再現した際、島本の「俺りや、帰る」という音声を指摘したとき、桑原裁判官自ら、よく聞こえますと答えたことを右裁判官は判決を書く際失念したようである。さもなくば、原判決のような二重の推測による誤りをおかすはずはないであろう。更に、平尾証人は自らの発言「暴力はやめなさい」についても、そのときの目撃状況をふまえて明解な証言を行つており、他の証人の証言と比較しても信用性の高いものである。従つて、小海、香川、高橋各証言の正しいことも明白である。原判決は起訴状にいう「放り出した」という事実を否定する理由、証拠による認定は、そのこと自身、右のような誤つた推測をする余地のないものと考える。原判決が「放り出した」事実を否定する論理をもつてすれば、原判決が、「つりあげ」、「突き当てさせ」などの事実を推測することこそ、不自然であると考えざるを得ないのである。録音テープによる種々の音声、特に突嗟の場合ふと口をついてでる言葉はその場の状況を知るもつともよい資料となるからである。「ホラ、ホラ、ホラ」「オツ、アツ、シマツタ」「俺りや、帰る」「サツ行だ」等々である。

原判決は、録音テープの音声を正確に聞きとることができなかつたために、苦しい不自然な推測をせざるを得なくなり、それがために重大な事実誤認を行つたのである。以上指摘したとおり、原判決の推測の根拠がなくなつてしまつたのであるから、当然被告人らに暴行を認定することはできない。もつとも原判決は外形的事実につき、推測を行つたが、被告人らが暴行の意思をもつていたことまでは根拠を示せなかつた。そもそも、本件証拠の中から被告人らの暴行の意思を認定することはできないのである。最後に、事実論については「弁論要旨」において詳細に述べているので、合わせて援用する。

(三) 「原判決は非科学的証拠の評価を行う誤りをおかしている。」

証拠裁判制度下において、証拠を科学的、客観的に評価することは真実発見に欠くことができないことは自明の理である。

原判決の証拠の評価の決定的誤りを数点指摘しておく。

原判決は「傷害」を認定している。証拠をみると、阿部医師の公判廷における供述と診断書である。ところで阿部医師は公判廷で、頭部外傷は外見的に見分不可能なものであつたし、検査の結果も異常がなかつた、脳震盪症というのは本人の訴え即ち意識を失しなつた、頭痛がする、吐気があつたということによるものであつて客観的に判定できたのではない、いずれも本人の訴えは、頭を打つたことによるのか、飲酒が原因なのかは不明であると供述している。専門の医師ですら原因の判定ができないものを原判決は認定するという誤りをおかしている。

次に、録音テープ、及び議事録という動かしがたい証拠を推測によつて否定してはならないということである。前述のとおり、島本の「俺りや、帰る」という発言などその典型的な例である。本件において真実を発見するカギは、検事側証人の証言と、録音テープを念には念をいれ、何度も読みかえし、聞き返すという労をいとわないことである。そして、特に録音テープは当該部分のみならず全体をよく何度もきくことが必要である。この点は特に、当控訴審に要望するところである。

そして次に重要なのは、本件現場を立体的に理解することである。この点、香川作成の会場平面図が正確なものであるが、これとて立体的なものではない。録音テープをききながら、現場検証がおこなわれたならば、原判決のいう不自然さや推測は疑問の余地もなくなる筈である。

最后に、本件では右録音テープや会場平面図の他に、多くの目撃証人がいるということである。この目撃証人たちは、既に録音テープの中に警察官との問答として登場しているのである。信ぴよう性はそこからもうかがえるのである。証拠論に関しても「弁論要旨」を援用することを附言する。

(四) 「原判決は事実を事件の背景、本質から切離したため誤りをおかした。」

事実を認定するためには、その事実と関連する社会的事象との関連で、即ち事件の背景、本質を正しくとらえることが必要であることはいうまでもない。原判決は事件の背景、本質との関連で、本件事実の認定を行つていないため、事実誤認を行つたものと考えられる。事件当時の創価学会、公明党の参議院選挙を前にした、自治会私物化のための民主的自治会破壊工作、アカ攻撃、公住協攻撃、三役追放要求等々(清水証言、その他怪文書)の背景の中で本件がおこされていること、及び、本件に対する警察の捜査の不当性、即ち、本件で検事側証人として活躍した松村と東村山警察の結びつき、松村、及び取調べ担当警察官、中村、山本が被告人秋山、証人斉藤を料亭に呼びだし酒食のもてなしを行つていること、取調べ担当市川検事が、起訴すれば中里団地自治会はまつ二つに割れるぞとおどして、事件から二年後突然起訴したり、起訴後あわてて検事が現場検証をおざなりにやつたりしていること等々を考え合わせた上、本件事実を検討すべきものである。これらの事実をぬきにしては、検事側証人、即ち傍聴人らの虚偽証言を見ぬけないのである。

原判決は検事側の各証人を信用できないとしながら一方では信用するという矛盾をおかしている。それは右の如き事件の背景、本質に対する不理解から生じたものと考えられる。そして、何よりも客観的証拠である録音テープは右に指摘した事件の背景、本質を事実の点で裏付けている。

(五) 結論

以上のとおり、原判決は事実誤認により、被告人両名を無罪とすべきところを有罪にするという重大な誤りをおかしたことが明白となつた。原判決を破棄して、被告人両名に無罪の判決を言渡すべきである。われわれが以上のとおり控訴趣意を述べた点につき、慎重な審理を望むものである。即ち、録音テープの聴取、「議事録」及び目撃証人の各証言、「議事録」の音声についての補充を行つている山崎証言、平尾証言等をよく調査し、更に現場状況を現場検証をするなどして頭にいれ、清水証言、斉藤証言、山本証言、怪文書(弁護証)などの背景部分の証拠と総合して、正しい事実認定を行われるよう要請するものである。それがなされるならば、かならず被告人両名は無罪となることを確信している。

四、各論

(一) 被告人両名は島本に対して不法な有形力の行使をしていない。

原判決は公訴事実のうち、<1>被告人両名が共謀の上、団地内集会所の「玄関コンクリート土間に放り出して仰向けに転倒させ」たこと、<2>「更に被告人舩井が、同人(島本)の襟首付近をつかんで、表道路上に放り出す等の暴行を加え」たことはいずれも否定しながら、「被告人両名は右島本を即時退場させるべく、共謀の上、机に向い玄関に背を向けて正座していた右島本の、被告人が右腕を、被告人秋山が左腕をそれぞれ両手で掴み、机にしがみついて退場を拒む同人を無理矢理吊り上げて、玄関に向つて数一〇センチメートル後退させ、同人をして玄関脇にある下駄箱、東南角あるいはその下駄箱の北東角に背中を接して安坐していた傍聴人の東護健英の右肩に突き当てさせ、」たと被告人両名の暴行々為を認定した。

傷害の点については後に述べるとして、原判決が被告人両名の行為を暴行と認定したことは誤りである。

第一に、弁論要旨に詳述した通り、当時の島本の酒酔い程度と同人の常軌を逸した態度及び被告人両名の動き(弁論要旨第四、参照)からも明らかな通り、被告人両名は立ち上つた島本の両側から島本の両腕を支えるようにして持つた。このとき島本は若干後退したが、これも同人が立ち上つたとき酒の酔いもあつて一瞬ふらついたためである。その直後同人が「おりや帰る」と言つて被告人両名を振り切つたのである。このとき被告人両名も島本の右発言を耳にしたため島本の自発的退場を望んで手を離したまでである。島本が立ち上つた位置から前記下駄箱東南角附近までは僅か数十センチである。しかも被告人両名が島本を下駄箱東南角あるいは東護の右肩に突き当てさせるなどの行為はしておらず、むしろ被告人両名が手を離したあと島本が自らバランスを失つて東護の右肩附近に寄りかかつたものであることは目撃した各証人の証言から明らかである。ところでこの場合、島本が酔つてふらついているのであれば被告人両名はむしろ手を離さずもつと丁寧な扱いをするべきではなかつたかの疑問が生じるかも知れないが、島本が「おりや帰る」と言いながら身体と両腕をねじるようにして振り切つたこと及びその直後東護の右肩附近に尻をつくように寄りかかつた事実をみるとき、被告人両名にこれ以上の行動を期待すること自体極めて困難である。

ところで本件は暴行に因つて傷害の結果を招来したとされている事案であるが、ここに「暴行」とは通説・判例に従つて人の身体に有する有形力の不法な行使をいうと解すれば、被告人両名の行為は有形力の行使というにあまりにも短時間且つ穏便なものであり、その行為は前後の事情に照らして社会的相当性の範囲を決して逸脱したものではない。まして本件について「不法」という評価は明らかに誤りである。けだし不法とは相手方において忍受するいわれのないものである。島本は次に述べる事情から被告人両名の前記行為を忍受すべきものだからである。

(1) 、中里団地自治会はその居住者居住権を守り、福祉と生活環境の向上発展をはかり、居住者相互の理解と親睦に寄与することをもつて目的とするものである。

すべての国民は集会・結社の自由が保障されており、団地自治会も例外ではない。さらに前記目的遂行のために相当な範囲内で文字通り自治権を有する。従つてその意味で権力も右自治会に対し濫りに干渉すべきでなく、その活動は目的にそつたものである限り最大限に保障されるべきである。だから、自治会活動に伴う或いは関連する些細な紛争にまで逐一介入することは極力避けるべきであるし、自治会の側からみれば社会的相当な手段によつて自ら解決しうる事案であれば権力の援助ないし導入を乞う義務はなく、むしろ自らの常識的判断に則り適正な解決を目指すべきである。そうだとすると、四八〇世帯の代表者である常任委員が自治会の規約に則り、総会に次ぐ意思決定機関であり、且つ執行機関である常任委員会という重要な機関で前記目的を遂行するために討議をし、決定するという行為は誰もがこれを尊重しなければならないし、いわんやこれを妨害するということは厳に慎まなければならないところである。

(2) 、ところで事件当日の常任委員会は島本によつて議場が混乱させられるまで約二時間にわたつて各常任委員の熱心な討論が続けられていたことは録音テープからも明らかである。このような席でたとえ傍聴と発言が許されるからといつて、酒に酔つて議事の途中から延々と質問をはじめ、しかも質問の内容が次第に意味不明となつたばかりでなく、興奮或いは激昂して議場を混乱に陥れ遂には同人がいる限り議事の続行を不可能なまでの状態にした島本を放置して会議を長時間中断或いは中止することは単に自治会の権威を失墜せしめるだけでなく、居住者である一般自治会員に対する責任を全うしないことになる。しかも、常任委員はそれぞれ職業を有しており、各人が貴重な時間をさいて、夜間集合しているのであるから、会を中止した場合、翌日或いは数日後に続行又は再開が可能であるという保障は全くない。しかも島本が議場を混乱させているとき常任委員会は未だ討議すべき議題を多く残していたことは録音テープに島本退場後も延々と討議が続いていることから明らかである。

(3) 、このような情況にあつたのであるから、すでに弁論要旨にも詳しく述べたように、議長である小海会長が退場命令を出したことは極めて当然であり、その場にいた常任委員が口々に島本に退場を迫つたことからも明らかな通り誰もが島本を退場させることが相当と考えていたのである。にもかかわらず島本が「退場も あるかい。ここは国会じやねえんだ。」と同人が自ら退場することを拒否するような発言をしたばかりか、以前にも増して激しく机を叩き怒声を発し(この言動こそ傍にいたものなら耳をふさぎたくなるような暴行である)たのであるから、最早同人に発言させるのは勿論その場に留まらせるべきでなかつたのである。

(4) 、従つて、百歩譲つて被告人両名が居合せた会長をはじめ三役及び全常任委員の意向をくんで島本を立ち上らせ、さらに同人を玄関方向に移動させようとしたとしても、前記退場命令の実現、即ち執行として当然許された行為なのである。しかも、その執行方法はその態様からも極く穏当な方法であつて、むしろ、酒に酔つた島本が転ばないように支えるということをも考えながら行われたものである。従つて、被告人両名が島本の左右から同人の両腕をとつて同人を約半歩乃至一歩後に後退させた行為自体は島本にとつてはこれを忍受すべきであつて、不法な有形力の行使ということはできない。

原判決はその理由の最後に、「島本に対する説得なり、警察官の派遣を求めて排除するなりの妥当な方法があつたはずである」とするが、まず島本に対する説得が最早不可能或いは著しく困難であつたことはすでに弁論要旨に詳述した通りである。次にこのような程度のトラブルにまで警察官の派遣を求めるという思考方法そのものが問題である。重複するので詳しくは述べないが、例えば酒宴の席で酒に酔つてわめき散らし或いは暴れる者がその場の雰囲気をこわし、或いは喧嘩にまで発展する気配があるという理由でその場に居合わせたものがその酒漢を退席或いは退場させることはわれわれのよく見かけるところである。しかしこのような場合、逐一警察官の派遣を求めるようなことはないし、たとえあつたとしてもそれは極く稀である。まして自由と民主主義の保障されるべき自治会役員会の席で一人の酒漢が喧嘩ごしで大声でわめき散している場合、議長はこれに退場を求めることはその権限からも当然行うことができるし、これに応じない者を相当の方法をもつて退席させることはできる筈である。

本件のような事案にまで警察官の派遣を求めなければならない理由はなく、かえつて警察官の派遣を求めてこれを排除することは妥当を欠く。

そして、そのあと被告人両名が島本を下駄箱東南角或いは東護の右肩に突きあてさせた事実は全くないこと、その場でバランスを失した島本がこのため結局コンクリート土間に転落したのは自ら被告人両名を振り切るという自動的行為にその端を発したものでいわば自招行為であることはすでに述べたとおりであり、同人が転落したことは遺憾ではあるが、法的には被告人両名の預り知らぬところであつて、右両名が刑罰責任を問われねばならない理由は全くない。結局、被告人両名に両腕を持たれた島本がそのままおとなしく退場の執行に応じれば問題はなかつたであろう。ところが、右両名に腕を持たれた島本が今迄退場を拒否していながら突然「それまで」とか「おりや帰る」等と言つて身体をねじつて右両名の腕を振り切つたこと、これを聞いた右両名が島本の自発的退場の意思を認めて手を離したこと、手を離された島本が酔いのためかバランスを失つて下駄箱東側附近にもたれかかり、さらに同人の尻を東護の右肩附近に乗せたこと、尻を乗せられた東護がこれを嫌つてか安坐していた上半身を前にかがめたこと、これによつて支えを失つた島本がさらにバランスを失つて下駄箱と東護の背中の間にあいた逆三角形(原判決ではV字型)の空間から背中を下にして転落したものであつて、その動きは物理的に極めて自然で原判決のいうように不可能或いは不自然ということはない。尚、証言や図面によつてこれを理解することができないのであれば、むしろ現場において実験すれば最も迅速且つ正確にその動きと流れを理解することができると確信する。

(二) 被告人両名の行為は正当防衛である。

弁護人・被告人は原審において被告人両名の正当防衛を主張しなかつたが、当審においては仮に被告人両名の行為が前記(一)記載の主張が認められないとしても、右両名の行為は正当防衛として、その違法性を阻却するとの主張を新たになすものである。

(1)  急迫不正の侵害

島本は議題とは直接関係はないというものの当初は一応平静に公住協会費に関連する質問をはじめたが、酒酔いと興奮のため次第にその質問がくどくなり、遂には質問の趣旨を全く逸脱した発言を大声でなすようになり、挙句の果てに机を叩く、お茶をこぼす、林と口論をはじめるなどして議場を混乱に陥れたこと、これに対し会長はじめ三役と常任委員から退場を命じられたこと、これに対し島本は自発的に退場するどころかかえつて退場しない意思を明らかにしていたことはすでに述べたとおりである。傍聴それ自体は自由であるとはいうものの、このような状況を生ぜしめた島本は会長の退場命令によつて、この時点から最早広義の不法侵入者とみなされるべきで、同人が第一集会所に所在を継続している状態は刻々その場所の平穏な状態を害しているものということができる。

(2)  防衛さるべき権利

団地の自治会活動の自由が憲法上集会・結社の自由として保護されるべきは勿論、右自治会の運営に伴う諸集会、諸会合も右自治会の目的を実現するためにはその自由が当然種々の妨害からは保護されなければならないのは当然である。従つて、平穏に進行している常任委員会を不当な言動によつて侵害する者があれば、常任委員会の各構成員はいずれもその侵害を受忍する謂れはないものと言わなければならない。

(3)  防衛行為とその必要性・相当性

被告人両名の行為が現に継続中の島本の侵害行為を排除するために議長である会長の命令に基いて行われたものであることは明白である。

この行為が(イ)常任委員会の平穏な進行を保全するために必要であつたこと、(ロ)その手段において穏便であつたこと(被告人・弁護人は被告人両名が島本の両脇からその腕を支えるように持つてわずか数十センチ移行させたことのみを認め、その余の事実、即ち下駄箱東南角或いは東護の右肩に突き当てさせたこと及びそれによつて、島本の身体のバランスを失わしめたことは認めていない)はすでに明らかにしたとおりである。島本は常任委員の「退場」「退場」という声に「退場もへつたくれもあるか。こりや国会じやねえんだ」と退場の意思のないことを明言したのであるから、最早実力でこれを排除する以外になかつたし、被告人両名が島本の両腕をとつたときに、同人が「それまで」とか「おりや帰る」と発言して自発的にその退場の意思を漏らし、身体をねじつて被告人両名の両腕を振り切つたときにその意思を認めてそれぞれ両手を離したのであつて、島本が退場の意思あることをその言動によつて示したにもかかわらず、被告人両名がこれを無視して強行したものでもなく、その必要性と相当性に欠けるところは全くなかつたと言つてよい。

従つて、被告人両名の行為はそれが有形力の行使であつたとしても防衛手段としての相当性の範囲を逸脱したものでない。

よつて、被告人両名の行為は正当防衛として違法性を阻却し罪とはならない。

(三) 島本に傷害はない。

原判決は傷害についてこれ程問題のある事案にいとも簡単に傷害を認定し、右認定の根拠について、証拠の標目に証人阿部士良、同島本吉雄の原審公判廷における各供述及び右阿部作成の診断書等を挙げるのみで、弁護人の主張する島本の諸症状(これも単に愁訴のみであるが)が果して傷害といえるか、また転落したときに頭部を打撲したことによるものか否か判断ができない。即ち、因果関係を認めるべきでないとの点につき何ら具体的反論をしていない。

弁護人の主張したい点は弁論要旨に詳述したのでこれを援用し、ここでは重複を避けるが要旨はCという症状がA・Bいずれの原因によつて発生したものか判断しえない場合にはAとC、BとCの間にいずれも因果関係を認めるべきでないという極めて当然な論理を前提にして考察した場合、島本の件も頭痛、吐気の愁訴はそれが頭を打つたことによるものか或いは酒酔いによるものか俄かに判断しがたければこの間に因果関係を肯定すべきではない。

また島本の訴えの一つである一瞬気を失つたとの点はあくまでも臨床所見を伴つたものではなく、本人の訴えを信じるか否かにかかるものである。

転落直後のあの島本の芝居じみた悲鳴(録音テープ)と医師の島本に対する眼底スライドによる所見(特に病的ではないけれどもどういう性格か、頭脳の程度はどの位か、そういうものを知りたい)等から同人の訴えを直ちに信用あるものとすることはできない。

従つて、島本の主訴である一瞬気を失つた(意識障害)、嘔吐、頭痛等を以つて、直ちに脳震盪と判断することは軽卒である。

阿部医師は途中から島本を診断したとはいうもののすべて同人の訴えに基いてその診断・治療をしており、先入観が強く、直ちに同人の証言を信用することはできない。例えば三六時間後に酒酔いから覚醒したときには意識障害は勿論、吐気もなくなつており、残つたのは「食欲不振、頭重感、頭を動かしたりするとグラグラする重いようだけれども、じつとしていれば感じなくなつた」(証人阿部士良速記録二〇丁表)である。いわゆる二日酔いと言われるものの症状のようで、これをもつて脳震盪というには(同二四丁表)あまりにも速断ないしはこじつけという他はない。

このような事案にまで行為と傷害(これが現存することを前提にしても)の間に因果関係を肯定することは重大な事実誤認と言わなければならない。

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